プロフィール

私と奄美

沖縄がまだ日本復帰をしていなかったころ、奄美大島は日本の最南端でした。
暖かい南の島でくらしたい。

青い海と白い砂、サンゴ礁のリーフにふちどられた島の中に身を置いてみたい・・・
そんな思いで東京を旅立った日の心のときめきが今も続いています。
まだIターンなんて言葉もなかったころでした。

早いもので私が奄美大島で暮らすことになってから、今年で30年になります。 
1979年9月4日のことでした。

30年...長いような、短いような歳月です。
ただただ奄美の空気を吸って、淡々と年月を重ねてきたような気がします。

朝な夕な潮騒に揺すぶられ、透明な海の青さに染められ、森の深さに呼吸を合わせながら、
そして、たくさんの島んちゅに援けられわがままを通して生きてきたと思います。

そこに海があるから飽きもせず暮らしてこれたような気がします。
森の中の樹木の間や岬の陰、部屋の窓からもいつもそこに海がありました。

私の人生を受け止めてくれた奄美に心から感謝しています。
奄美は私の心の故郷です。

ふるさと奄美を奄美の地から熱く発信したいと思っています。

どうぞ今後とも、「さねんばな」と私を応援してくださいますよう、
心よりお願い申し上げます。

2009年記

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人生の花道
今年は2021年、1998年お店を開店してから23年目になりました。
まさかこんなに長く続くとは思ってもいませんでしたが、日々是好日、毎日、海辺の市営住宅の一室から市内のお店まで出勤して、日々を重ねて参りました。
一人前の経営者といえるような能力が備わっていたとは思えません。お店というにはあまりにも小さな店舗ですが、どうしたらお店を維持していけるか、そればかり考える日々の連続でもありました。

お店を開店したのが57歳。
それまでワープロを叩いて文章を書いていた生活から、電卓に替えて数字を叩く毎日です。
ある日、テレビで80歳ぐらいのおばあちゃんたちが、自分で作った葉っぱを売っている姿をみて、なぜか唐突にパソコンを習得しないといけないな、と思いました。
もし、80歳になっても生きていけるとしたらパソコンは必須アイテム。
パソコンができたら食べていけるかも。その頃はネット販売ができるというのは夢のような時代だったと思います。
ですが、これはかなりの苦行でしたね。
頭の構造が文系なので、パソコンについていけないのです。パソコンの身になれない。いかにして頭の中をニュートラルにするかが鍵だったように思います。

あれから20年余。2020年はTOKYOオリンピックということで、一気に紙仕様からwebに移行しました。クレジットカードは開店当初から導入していましたが、paypayなど各種キャッシュレスや、Gotoトラベルの登録などてんやわんやの毎日でした。

そして昨年からのコロナ騒動。これは思いがけない大きな試練です。コロナ禍を乗り越えるためにも、今までうっちゃらかしていたwebに身を入れて取り組みたいと考えております。
人生の花道はまだまだ道半ばです。

奄美旅」からぜひ「おみやげブティックさねんばな」へ、遊びにいらしてくださいませ。心よりお待ちしております。

                 2021/4/22記

自分史

  • 1941年

    宮城県白石市出身
    農家の5兄弟姉妹の3番目

  • 1960年

    宮城県立白石女子高校卒
    卒業後上京。神田の薬品会社や日本橋の会計事務所で働く。詩の同人誌「虹」に所属

  • 1966年

    初めての奄美旅行 県立図書館奄美分館の館長をされていた作家の島尾敏雄氏を訪ねる

  • 1968年

    再度奄美を訪れ 奄美への移住を考える

  • 1970年

    島のネセと結婚 横浜で暮らす

  • 1979年

    横浜から奄美へ移住

  • 1982年

    長男出産

  • 1983年

    離婚

  • 1993年

    奄美女性史サークルをつくる
    大島紬の原郷である奄美の女性たちの大島紬への思いや暮らしぶりを知りたかった。奄美の生活に密着した花・さねん花(和名・月桃)を冊子のタイトルにして「さねんばな」を創刊

  • 1996年

    4号まで発刊する

  • 1997年

    息子の高校入学を機に休刊

  • 1998年

    藍染・泥染・大島紬の店「さねんばな」を開店。
    暮らしを立て直すことが最大のテーマでした。女性誌「さねんばな」を忘れてはいけないという思いで店名に

  • 2000年

    宇検村阿室出身の音楽家・山畑馨(NHK交響楽団主席ファゴット奏者)作曲『交響譚詩こうきょうたんしベルスーズ奄美』の演奏会を企画、事務局を担う

  • 2000年12月21日

    龍郷町「りゅうゆう館」

  • 2000年12月22日

    奄美市「奄美文化センター」にて公演

    1979年初演。私が奄美に移住した年です。
    唄者・坪山豊さんの島唄と、九州交響楽団(指揮・山畑馨先生)による島唄をベースにしたオーケストラによるクラシック演奏は、あまりにも衝撃的で素晴らしく、また、強い印象となって残っていました。どこかで再演できないものかと思案していた折に、100年に一度の世紀またぎのミレニアム公演として21年ぶりに再演

  • 2003年

    奄美の日本復帰50周年事業の一環として「軍政下奄美の密航・密貿易」を南方新社より出版

    佐竹 京子 (著)

    ご希望の方は、メールにてお申込みくださいませ。

  • 2003年11月16日

    「奄美群島日本復帰50周年記念式典」に参列
    (当日は平成天皇皇后両陛下御臨席)

  • 2009年7月22日

    奄美で皆既日食を観測。世界中から異星人のような風貌の皆既日食フアンが押しかけ、当店の狭い店は「皆既日食Tシャツ」を求めて溢れかえる。約1ヶ月の饗宴

  • 2017年5月

    「さねんばな開店20周年感謝祭」
    山羊島ホテル庭園にて、フアッションショー、あまみ舞、島唄、歌謡、抽選会、フリマなどの出店で大盛況でした。
    実行委員と参加者の皆さんに感謝


  • 2018年

    18年ぶりに第3回「ベルスーズ奄美2018」指揮者・奥村伸樹氏とプロのオーケストラを迎え公演。
    前回の流れで事務局補佐を担当。三たび感動に震える
    また、山畑先生は100歳越えを念願され、次回(2021年)には生誕100年記念公演をとお元気でしたが、2020年1月急性肺炎にて惜しくも97歳にてご逝去 (合掌)


  • 2018年

    「軍政下奄美の密航・蜜貿易」を重版(税込2200円)。200冊引取る。

    ポイント

    ご希望の方は、メールにてお申込みくださいませ。

    【ネットでも購入可】amazonhonto紀伊國屋書店楽天ブックスセブンネットショッピング


  • 2007〜2015年

    毎年のように東京池袋、町田、広島、大阪、博多などのデパートや催事場での「奄美物産展」に参加


  • 2011年

    2〜3月はタンカン、5〜6月はパッションフルーツ、また求めに応じ、島バナナ、マンゴー、ドラゴンフルーツなどの果実や特産品など発送。とくにタンカンの発送は、根強い人気で現在に至る


  • 2021年10月

    満80歳になりますが、これからどこまでやっていけるのか、私としてもとても楽しみです。今後とも飽きずにお付き合いくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
    また、無茶ぶり母親に育てられた息子はただいま3児の父となり、穏やかな暮らしをしております。

20214/22記